2019年10月に私は人生で初めて陸路での国境越えを体験した。場所は中国〜キルギス。イルケシュタム峠を通過する、通称イルケシュタム国境だ。
この国境は多くのバックパッカーから世界一厳しいと噂され、その由縁は実にシンプルである。
- 中国の出国審査がとにかく厳しい
- ルート情報が錯綜していて、行かないとわからない
- 約12時間にも及ぶ長距離移動でケツが痛い
今回は私の体験を中心に、イルケシュタム国境の全貌について綴ってみたい。
出発地 | 到着地 | 交通手段 | 料金 |
カシュガル(喀什汽车客运站) | ウチャ(中国イミグレ) | ワゴン | 45元 |
ウチャ(中国イミグレ) | 中国出国審査所 | タクシー | 無料 |
中国出国審査所 | オシュ(中華系ホテル) | 謎バス | 400元 |
オシュ(中華系ホテル) | オシュゲストハウス | 徒歩 | ー |
カシュガルからウチャ(中国イミグレ) – 孤独の越境
午前8:00、冷んやりとした空気で目が覚めた。予定通りの時間に起床できたことに胸を撫で下ろし、いそいそと熱いシャワーを浴びに身体を起こした。廊下は旅人たちの呑気なイビキが鳴り響いていたが、私の鼓動はいつもより早かった。
俺:「無事にキルギスに行けるかな?超心配・・なんだけど。」
宿主人:「大丈夫、何とかなるよ。道中、気をつけて。」
3連泊中に一度も笑顔を見せてくれなかった受付のおじさんと簡単な挨拶を交わし、9時半頃にバスターミナルへと出発した。
事前に調べた情報はどれも古く、行き方は千差万別。ずっしりと肩にのしかかるバックパックがより一層、気持ちを不安に沈めた。
10時過ぎに券売場に到着。
「乌恰(ウチャ)!」と受付でチケットを頼んでみたが、まさかの販売拒否。身振り手振りを交えて理由を尋ねてもダメで、英語も通じない。旅行の神器であるgoogle翻訳を使っても、画面すら見てもらえず、ハエを追い払うかのようにシッシ!とされてしまった。出鼻を挫かれて落胆。
まぁこんなもんだなと気持ちを切替えて、今度はウチャ行きの人を探すことにした。
しかし、バックパッカーは誰一人いない。「運休日か?」と徐々に不安が膨らんでいった。ちなみに運休日は土日。当時は平日だった。
諦めずに探していると、ひとりのお兄さんが自分と同じルートで、ウチャを通過してオシュまで向かうと教えてくれた。チケットが買えない旨を伝えると、しばらくここで待機していれば良いとのこと。彼の横にくっつき、それから待つこと数十分、同じ窓口でチケットを無事購入することができた。結局購入システムは謎に包まれたままだ。
16人用のワゴンに乗り込む前に、運転手から「20元くれ。」と言われた。高速道路を通過する際、外国人は徴収されるらしい。事前に確認した体験ブログにもそのような記載があったため、駄々をこねずに支払った。
11時15分、ウチャに向け出発。
高速道路の入口に到着し、全員降車した。公安による厳重な検査を受ける必要があるようだ。身分証と手荷物の確認を済ませて車に戻るも、なかなか出発せず数分待機。
しばらくすると、公安が車に乗り込み「大きい荷物も検査するからまた来い。」と一言。「なぜだ。二度手間じゃないか!」とツッコミを入れたくなったが仕方ない。
他の乗客は表情一つ変えずに応じていた。これくらいでとやかく言っているようでは先が思いやられるだろうと割り切り、早足でスタスタと抜けていく乗客たちの背中にぴったりと付いて再検査を通り抜けた。
12時30分に中国イミグレ到着。降ろされたのは私一人だけだった。
「あれ、お兄さんは?」と言う隙もなく、車はUターンして走り去ってしまった。身体を180度回転させると、目の前には「伊尔克斯坦边境」と大きく書かれた門が見えていた。
また孤独になった。そしてもう後には戻れない。
イミグレは運送トラックの運転手で溢れており、チェックを終えるのに一苦労。休憩中だったため、門が開く13時までタバコを吸ったり職員と話をして時間を潰した。ある職員から「飛行機の方が楽じゃん。なんで陸路なの?」と言われたが、それらしい返しが浮かばなかった。
「ただ通りたい、それだけなんだ。」
出国審査所 – 過酷な尋問
門をくぐると、車に乗るように指示された。無料で出国審査所まで連れて行ってくれるらしく、8分ほどで到着。料金は請求されず、運転手にチップを払って中に入った。
想像とは裏腹に、和やかに談笑している職員がいて拍子抜けした。世界一厳しい審査と言われているが、そのような雰囲気は全く感じない。「こんなもんなのかな?」と思ったが、甘かった・・・。別室に誘導され、手荷物検査と旅行の行程についてじっくり質問を受けることになった。
別室は広い部屋に机と椅子だけが置かれており、重苦しい嫌な空気で溢れていた。しばらくすると、職員7人が入室。そのうち一人はカメラで私を撮影していた。
これじゃあ、刑事ドラマの容疑者みたいじゃないか。
職員が、ポケットサイズの翻訳機器を手にして尋問開始。はじめは空港でも聞かれるような内容だったが、徐々にウイグル自治区の行程について重点的に聞かれた。「何日にどの列車に乗ったのか?宿はどこか?そもそもなぜウイグル自治区を訪ねたのか?」など、なかなかヘビーな尋問ぶりだった。質問のネタが切れて一瞬の間ができたところで終わりかと思ったが、「手荷物検査をもう一度したい。」と職員が一言。PCやカメラだけでなく、常備薬の効能まで徹底確認。下着までチェックされた。女性の場合どうなんだろう。ゴソゴソと好き放題やられて、さすがにうんざりしてきた。
ふと、職員がボイスレコーダーを発見・・・すると目つきが変わった。ここからさらに長期戦になる予感しかしない。動画作成で使用していると事実を伝えたが信じてもらえない。どうやら私をジャーナリストと勘繰っているらしい。
「内容を確認したい。」と言われ、全てのデータを再生。ボソボソと喋る自分の声が鳴り響く。職員が翻訳機器をレコーダーに当てていたが、読み取れなかったようだ。しまいには、自分の声を自分で同時通訳する意味不明の状況になっていた。
続いてスマホの写真、HDDの写真、GoProの動画全てを見せて欲しいとの要求。抵抗したらどうなるか分かったものじゃないので、言われるがままに従った。
結局、開放されるまで1時間半が過ぎていた。なんだかんだで、世界一厳しい出国を想定よりも早く通過。
シャバの空気は最高だ。
しかし、ここからの交通手段は全く検討がつかない。どうしよう、とりあえず外に出るしかない。
偶然に出会った大型バス – さよなら中国
審査所を出ると、職員が一人の男性を連れてきた。ここからオシュまで向かうバスの運転手とのこと。この際、グルだろうが何だろうが先に進めればいいと腹を括り、500元スタートで値段交渉開始。結局、追加料金なしの400元で手を打ってくれた。
バスを見ると「奥什⇄喀什(オシュ⇆カシュガル )」と後部ガラスに書いてあったが、カシュガルのどこから出発してるんだろうか。謎がまた、増えてしまった。
さぁさぁと流されるように乗車すると、すぐに出発。乗客は私を含めて10人程度で、外国人は私のみ。勿論、旅行者は誰一人居らず、全員大きい荷物を抱えた運送系の乗客だった。
数時間かけて、ようやくイルケシュタム国境に到着。鉄格子で囲われた道をまっすぐ進むと、公安が誘導してバスを停車させた。指示に従い外に出ると、冷たい空気が顔に刺さって気持ちよかった。
バスに戻り、しばらくすると別の人がパスポートをチェックしに来た。結局確認は3回も行われたが、この時点で免疫が付いたのか、何も思わなくなっていた。
15時に無事出発、ありがとう中国。厳しいセキュリティーに辟易していたが、これでお別れかと思うと少し寂しくなった。徐々に小さくなっていく国旗を背に、バスは猛スピードで山道を駆け抜けた。
名もなき道 – どこの国でもない陸路を駆け抜けて
バスは、中国でもキルギスでもない山道を走り続けた。砂漠のような景色が広がったと思えば、すぐに雪山になり、燃えるように赤い山肌が見えたかと思えば、木々が生い茂った山へと変化していく。それはまるで、一度に四季を眺めているような不思議な光景だった。
車内はとても快適で、穏やかな歌謡曲に合わせて誰かが陽気に鼻歌を歌っている。ある一人は窓を少し開けてタバコを吸っており、それを見て私もタバコに火を付けた。
三級タバコでも、とても美味しい。
宿でもらった菓子パンとレーズンを食べて、私はしばらく眠りについた。
キルギス国境 – 人生初の陸路入国
起きてすぐに、キルギスの国旗が見えてきた。14時40分、イミグレに到着。中国と比べて遥かに緊張感がなかった。バスの運転手は陽気に職員と会話をしている。何度もここを通過していく中で、自然と顔見知りになったのだろう。麻薬探知犬も尻尾を振りながら、伸び伸びとしていた。
日本人が珍しいのか、入国審査では「コンニチハ!」と笑顔で手招きをしてくれた。簡単なキルギス語とロシア語で挨拶をしたら、想像以上に喜んでくれたこともあり、ここはもう中国ではないと強く実感。
中国の場合は、発音が難しく伝わらないため「は?何言ってんの?」と反応されることが多かったが、今はそれがとても懐かしく、愛しささえ感じる。
15時45分、バスは引き続きオシュへと向かった。
中国での旅路を反芻しながらパスポートを眺めていると、キルギスの入国スタンプに車の絵が描かれていることに気が付いた。陸路入国した者だけに与えられる勲章のような気がしてとても嬉しい。そして改めて、今自分がイルケシュタム国境に挑んでいるという実感が湧いてきた。
国境からオシュへ – 車窓から覗く山村の絶景たち
キルギスに入れば、中国人も私と同じ外国人。はじめはお互い観察し合っていたが、休憩中に同じ飯を食べたり、野原で立小便をしていると、徐々に打ち解けていった。
彼らはシルクロードの商人であり、今回の旅行のテーマで一番出会いたい人々だった。一人の男が「衣服や家電を運び、生計を立てている。」と言う。過酷な労働で身体中が痛むらしいが、彼の目は穏やかで、笑顔も暖かかった。
18:30にサリタシュを通過。目を横に向けると山羊の大群が道路脇に群がっていた。
村ではキルギス帽子を被った年配者が散歩していたり、夕食の支度をしている様子が伺えた。日本では目の当たりにすることができない光景に終始興奮していたが、何度も通過している商人には退屈なのだろう、乗客は私以外みんな眠っていた。
車窓越しに村人と挨拶を試み、何人かとコミュニケーションをとったが、子供は訝しそうに私を眺めているだけだった。おそらく二度とこの道を通らないだろう。しかし、この道で見た景色は決して忘れられない。
22時過ぎにオシュ郊外に到着。キリル文字の看板が並んでいた。
オレンジ色の明かりに照らされた小売店では楽しそうに親子が買い物をしており、比較的治安が良さそうな印象でひと安心。バスは中華系ホテルの脇に停車したが、この時はすでに22時半過ぎ。運転手・乗客と別れの挨拶を交わし宿へと向かった。
23時過ぎに無事チェックイン。長い国境越えが終わり、私はベットで横になるとすぐに眠ってしまった。
イルケシュタム国境を越えてみて
以上が、中国からキルギスにかけての国境越えルートの全貌だ。イルケシュタム峠の、息を飲むほど美しい自然を見てみたいと思う人が少しでも増えれば嬉しく思う。
この峠の見所は何と言っても、中国でもキルギスでもないエリアだろう。世の中には国境という目に見えない線が引かれているが、ここ程その境界線が曖昧な場所はないと思う。
人生初の陸路での国境越えは過酷でありながらも、一生忘れられない経験となった。あなたも是非、イルケシュタム峠越境に挑戦してみてはいかがだろうか。
また国境超えファンは、こちらの記事も参考にして欲しい。